【MV考察】天音かなた『おらくる』の歌詞に隠されたメッセージ、その深い意味とは?

2024年5月8日、バーチャルYouTuberとして高い人気を誇る天音かなたが、オリジナル楽曲「おらくる」のミュージックビデオ(MV)を公開しました。

このMVは独特なビジュアルとアート感のある象徴的な表現が多く、天音かなたは「このMVは考察しがいがあります」と述べていたため私の見解を記事にしたのでぜひ読んでいただけたら嬉しいです。

そのうえで「私はこう思う」という見解がありましたらぜひコメントで教えて下さい。

ホロミ
ホロミ

この記事では古代ギリシャの話が出てきますが私は専門家ではないため、ネット上にある情報を用いて解説します。

人、人、人で埋まった
シャッター街 賑わってた

不安、不安 不安ばっか
また追い込んじゃったんだ?

チカチカって
真っ赤な電灯 血相変えた
誰か

ブランブラン
運んでった
いなくなっちゃったった
(あ~あ)

カン、カラン と
缶空鳴った 赤信号が歌ってた

ガラッガラの
終点駅 また突っ立っちゃってんだ?

フラフラっと
真っ青 面相
窶れてないですか?

…あれ、あれ、聞こえますか?
それ、吐き出しちゃいますか?

どうぞ。

「欠陥品と嘲笑して
ろくでなしと見下して
あの日貶した 怪物は
自分の方でした」

安楽 安堵 楽
皮を剥いて
だんだん 希望になぁれ
根本的な いい子になるまで
愛したげるね

大丈夫
貪々 欲で満たして
ブクブクブクに 恋で肥やして

骨の髄まで
ちゃんと 奥まで

たぁんと I love you

なりたい
やりたい
かちたい
足りないまま
立派に成っちゃって

愛おしいね
かわいいね

お目々に映った
有象も無象もが
全部「理想」

君が使う仕草、言葉、
余さず なでなでしたげるから
こっちおいで
あんよが上手だね
えっほえっほ

やったね
息が吸えたね
息が吐けたね
一人だけで 今日も過ごせたね

指が上手ね
口が上手ね
泣いた顔も キュンときちゃうって

あぁ、君の存在から放たれるすべての
間違いが正しいし有り得ないくらいもう愛しくて愛しくて
堪らないんだけど多分1%も伝わらないからこれからも君の上から
いくらでもいくらでもいくらでもいくらでも注いでいくね

しゃあないね
しゃあないね
君のせいじゃないもんね

しゃあないね
しゃあないね
ねんねしたいよね もう一丁

しゃあないね
しゃあないね
泣いても泣いても 変わんないね

しゃあないね
しゃあないね

だぁれも返事しないもんね

アンラック & ドラッグ
もうそんな 傷つけたりしないで

こんなバグだらけの
世界になっちゃってごめんね

大丈夫
安全圏にいようね
安心な世界に行こうね

見捨てないから
ずっと 今日も一緒

安楽 安堵 楽
皮を剥いて
だんだん 希望になぁれ
根本的な 善になるまで
愛したげるね

大丈夫
貪々 欲で満たして
ブクブクブクに 恋で肥やして

忘れちゃうくらい
笑っちゃうくらい

たぁんと I love you

おらくるの曲の全体的な印象

歌詞からは、現代社会の孤独や他者否定や人間関係の複雑さがある現代の若者の心情に共感し、天音かなたがそんな君に寄り添って肯定していくストーリーな印象を感じました。

しかし、「おらくる」のMVは、一見して神秘的な印象が強く、神でありナースであり失落している色んな天音かなたが出てきます。

ビジュアル面では暗い色調を基調としつつも、時折挿入される鮮やかな色彩が、視聴者の感情を表現しています。また、古代ギリシャの格言がテキストで登場することから、ギリシャ神話の要素と歌詞にある現代的な解釈が融合していることが感じられます。

おらくるの歌詞とMVの解析

どうしようもない孤独感

まずは歌詞のどういう部分から現代社会の孤独や他者否定や人間関係の複雑さを感じたのかを解説していきます。

この曲の歌詞は、「人、人、人で埋まったシャッター街 賑わっていた」といったフレーズから始まり、人々で溢れ返る都市の喧騒と孤立感を描写しています。シャッターが閉まっていることから、内面的な閉鎖や隔離を暗示していると解釈でき、都市の生活での精神的な圧迫感が感じられます。

MV内でも繁華街で一人きりの天音かなたがビルの上からうつむきながら50kgの握力でりんごを握りつぶしていました。

飛び降りて搬送される

次のシーンでは天音かなたが地べたで横たわり、虚ろな目で上空を眺めています。

上から先程のシーンで持っていたりんごが落ちてきていることから、天音かなたはビルから飛び降りたのではないでしょうか。周辺にある白い飛沫は「血しぶき」でりんごの周りにある白い飛沫は果汁を表現していそうです。

先程の不安感や孤独感から身を投げてしまったと考えると悲しい気持ちですが、飛び降りた天音かなたは、ナース姿の天音かなたによってオペ室に運ばれていきます。

ここで本来なら「手術中」と表示されるはずがギリシャ文字で「γνῶθι σεαυτόν」と書かれています。


「γνῶθι σεαυτόν」(グノーシ・セアウトン)という言葉は、「自分自身を知りなさい」という意味です。これは、古代ギリシャの有名な言葉で、ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿に書かれていたそうです。

この言葉の意味するところは、自分自身のことをよく理解することが大切だということです。

現代社会においても、「γνῶθι σεαυτόν」のメッセージは重要です。「人、人、人で埋まったシャッター街」と表現されるような、外部の喧騒に埋もれがちな日常では、自己の内面と向き合う時間が不足しがちになります。

(γνῶθι σεαυτόν)自己を理解することでビルから飛び降りたりして命を落とすことなく「自分は、どう生きていくべきなのか」がわかるように手術されたように捉えました。

自己認識をしたら…

続いて「欠陥品と嘲笑して ろくでなしと見下して あの日貶した 怪物は 自分の方でした」という歌詞は、他人を批判することで自分自身の欠点から目をそらす行動を示しています。しかし、先程の「自分自身を知りなさい」と刷り込まれる手術によって、心の奥底に他人を貶した怪物が自分にもあったことを認識します。

この怪物を表している天音かなたの笑顔がかなり不気味です。

タロットカード化する天音かなた

次のシーンではサビに入るのですが4 種類のタロットカードの中で天音かなたが踊ります。

まず1枚目のタロットカードは「恋人」を表すカードが出てきました。「恋人」のタロットカードは恋愛関係(男女関係)の他、ワクワクするような楽しい出来事で心が満たされることを表しています。

今後は、辛いことばっかじゃなくて楽しいことができることを伝えたいのでしょうか。

2枚目のカードとしては「審判」を表すカードが出てきました。「審判」のタロットカードはこれまで自分がしてきたことについて、評価される時期が訪れたことを表しています。また、現状に区切りがつくという意味もあるので、ここで一旦何がが終わり、再スタートを切ることになる意味も持っています。

3枚目のカードとしては「節制」を表すカードが出てきました。「節制」のタロットカードは節度があり、バランスが取れた状態ということを表しています。物事が滞りなく進展しますし、安定を保ったまま継続していく意味があります。

また、「白黒はっきりつけるような極端な考え方をしなくても良い」、という意味もあります。

4枚目のカードとしては「悪魔」を表すカードが出てきました。「悪魔」のタロットカードは誘惑に負けて堕落・破滅する恐れがあることを表しています。

浮気・不倫・略奪愛など泥沼の恋愛関係に嵌ったり、散財や依存・束縛に陥ってしまう危険性を意味しています。

MVに隠された面白いギミック

おらくるのMVには歌詞やストーリーとは直接関係しないものの解明しがいのあるギミックが隠されていました。

こちらがそのシーンなのですが中央にあるQRコードは「天音かなたのYoutubeチャンネル」にリンクします。

その左右にあるーと-が並列に並んでおりこれはモールス信号の符号を表現しています。この信号を読み解くと「あまねかなた」となります。

最後のギリシャ文字

MV終盤にもギリシャ文字が出てきます。

この画像に書かれている文字はギリシャ語で「μηδὲν ἄγαν」と読み、これは「何事も過ぎたるは及ばざるが如し」という意味で、「何事もほどほどに」という教えを含んでいます。古代ギリシャの格言で、節度やバランスの重要性を説く言葉です。

全力を尽くさないでいいのかな?思われてしまいそうですが、人間にとってバランスをとるということは大事ということを伝えたかったのかもしれません。

以上のことから天音かなたがリリースした「おらくる」という楽曲とMVからは、聴き手に対して現代人が直面する内面的な葛藤や社会的な孤立に光を当てています。

「おらくる」に込められた教訓とメッセージ

天音かなたとファン、ホロリスの関係は確かにアイドルとファンの関係性として一種の「応援される側と応援する側」として描かれることがあります。アイドルの言葉がファンにとって特別な意味を持つのは、その人物が持つカリスマや影響力によるものです。天音かなたの場合、彼女の言葉はファンにとって非常に大きな価値を持ち、「神の言葉」として受け取られることもあります。

「おらくる」という言葉自体には「神託」や「予言」という意味があります。古代ギリシャにおけるおらくるは、神々の意志を伝える重要な役割を持っていました。そのため、このタイトルが選ばれたのは、天音かなたが歌という形で伝えるメッセージに、ファンにとって重要な意味や導きが込められていることを示唆しているのかもしれません。つまり、天音かなたの歌がリスナーにとっての現代的な「神託」となるわけです。

この視点から天音かなたがファンに向けて発信する「愛の言葉」は、ただの応援や励ましの言葉を超えて、リスナーの人生や考え方に影響を与え、時には新しい視点や変化をもたらす「神託」のような役割を果たしているように感じました。

他のへい民による考察

私にはない考察眼がある方がいらっしゃいましたのでご紹介します。

@Nooo_Kuwa

7 COMMENTS

匿名

あくまで数回MVを見てぱっと思い浮かんだ考察ですが僕から見ると曲に前半と後半が存在する。前半では天使いくつもの人々の死、多分自殺行為、を天から監視している。そして後半ではまた絶望の道を漂ってる人に無条件の愛を指し伸びている。おそらくその人は前の人達と同じ結末を迎えるでしょう

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匿名

飛び降りたかなたと俯瞰しているかなたはそれぞれ別の人物だと思います。衣装が違うので。

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匿名

おらくるって単語やったんや…ギリシャ系とかの神話系と混ぜてくれるのオタク的に楽しい

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匿名

QRコードとモールス信号の場面の音、スペクトログラム図形的なやつありそうじゃね?
技術者解析求む。

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