ホロライブ所属のときのそらさんが、自身の配信でホロライブの黎明期を振り返り、数々のエピソードを語りました。活動初期には衣装の「袖」を作る専門家、通称「袖職人」が事務所におらず、なんと振袖までノースリーブだったという衝撃の事実も語りました。
伝説の”袖なし”衣装と謎の技術トラブル
ときのさんは、ホロライブの活動が始まったばかりの頃は、技術的な制約から袖のある衣装を作ることが非常に難しかったことを語りました。

袖職人さんがね、まだうちの事務所にいなかったんよ。だからノースリーブしか着れなくって。
それから1年位経って、袖ありのお洋服ができた
この袖職人が不在だった期間はなんと約1年にも及び、その間ときのさんは、普段着はもちろん、ジャージや振袖までもがノースリーブだったという驚きの事実を明かしました。

袖がないジャージしかなくってノースリーブジャージだった。
袖なしのノースリーブ振袖とかも着てた。
この他にも、袖を実装しようとすると画面が固まってしまったり、サンタ帽を被るとマイクの電源切れる原因不明のトラブルが起こったりと、当時の技術的な苦労を物語るエピソードが次々と語られました。
VTuberではなく「バーチャルアイドル」だった時代
ときのさんが活動を開始した当初、VTuberという言葉はまだ一般的ではありませんでした。ときのさんは、

ニコニコ時代はバーチャルアイドルのときのそらですって言ってた。
と、当時はバーチャルアイドルや、アイドルを目指すバーチャルJKと名乗っていたことを明かしました。また、ときのさんの特徴的な高い歌声から、

ときのそらというボーカロイドだと思われたらしいんだよ。
新しいボーカロイド出たんだーみたいな。人です!
と、人間ではなくVOCALOIDだと勘違いされることも多かったことを語りました。さらに、未だにときのさんのオリジナル楽曲、スタースタースタートにも「ボカロだと思って聞いてたら人でビックリした。」とのコメントがあったことも明かしました。
世界的なグループへと成長したホロライブ
何もないところから道を切り拓いてきた、ときのそらさん。当時はまだ日本国内でも認知度が低かったVTuberという存在が、今や世界的にも成長したことに

私が始めた頃はワールドワイドどころか、なんだそれだったのに。
いつの間にか世界中に推してくれてる人がいて。世界ってすごい!
と感慨深く感じているようでした。








