ホロライブの先駆者として知られる、ときのそらさんが自身の配信で、活動初期の厳格なブランディングと、それに伴う知られざる苦悩について初めて詳細に語りました。「今だから言える話」として、当時の制約や心境、そして現在の想いを率直に明かしました。
台本通りの日々と言葉の制約
ときのそらさんは、2019年6月に自宅からの配信スタイルに切り替わるまでは、公式配信では必ず台本が用意され、「台本通りのことしかやってなかった」と告白しました。
そこには、「私のイメージってこうだからこういう話題はしないように」「私のイメージと懸け離れるから話題に出ても触れないように」といった指示が明記されていたと言います。
例えば、少年漫画が好きであるにも関わらず、「漫画の話題より歌の話題をしてください」とされ、公言できなかった時期があったことを明かしました。
また、ファミコンのゲームなど、実際には従兄弟や両親の影響で知っていたことでも、「あんまり触ったことない」「知らないかも」といった形でごまかしていた時期があったと語り、

話せる話題がなくて結構大変だった、無難なことしか言えないみたいのはあった
と、当時の窮屈さを振り返りました。
「心苦しかった」胸の内と「察して」のコミュニケーション
これらの制約に対し、ときのそらさんは「嘘つくのが心苦しくて」と、正直な気持ちを隠して活動することへの葛藤があったことを吐露。

心苦しい気持ちをありつつ触れないっていう話題が多くあったから、それもすごく心苦しかった結構きつかった、辛かった
と、当時の精神的な負担を語りました。 そのため、知っていることを知らないふりをする際には、「何だっけ?」とぼかすなど、「知ってると思い出せないの間あたりを狙う喋り方」をしていたかもしれないと自己分析。
ファンに対して「察して」という形で、本心を伝えようとしていたことを示唆しました。後に素の自分を出せるようになった時は、本当に嬉しかったと語っています。
過去のやり方への現在の想いとファンへの感謝
一方で、ときのそらさんは「昔のやり方が悪かったとか全く思ってない」と強調。自身の中にも「理想のアイドル像」があり、それに準じて活動したいという気持ちがあったため、初期の方向性や発言内容の偏りは「良しとしてたし悪いと思ってなかった」と述べました。その結果、

何に特化してる人なのか分かって知ってもらえた
という利点もあったと分析し、当時の自身を否定する気持ちは全くないと語りました。
時代と共に変化するスタイルと、ファンへの長年の「ごめんね」
ときのそらさんは、初期から応援しているファンに対し、

純白の純真無垢な、本当に汚れのないみたいな、そういう清廉潔白って思って入ってきた人もいたと思うのに、なんかごめんねってずっと言いたかった
と、長年抱えていた謝罪の気持ちを伝えました。そして、ホロライブスタッフのAちゃん(友人Aさん)とも話し合いながら、「その時代に合わせて自分たちのスタイルを、時代に合わせて変えてきた」と語ります。

自分たちが貫くんじゃなくって自分たちがそっちに合わせていくっていう風なスタイルにしていこうよ
という考えのもと、様々な試行錯誤を経て現在に至ると説明し、「今私は幸せです」と現在の心境を述べました。
こういう発言が出る度に
『みんなやりたいからやっている』は足を引っ張りそう
最近は誰かの発言を否定しかねない事がちらほら出てる気がするから
みんな余計なこと言わない方がいい気がする
マーケティングが絶対なら共産・社会主義が台頭していると新入社などに話しています。
例として出す定番がパイナップルラーメンの話し、あと因果と相関関係でアメリカのクリスマスセールの話し。
マーケティングを元にしているつもりのブランディングは、そもそも成り立たないから出来ること・やりたい事を優先するしかないって事ですね